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恐怖のロンドン塔

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今回は、夏ということもあり、ロンドンの怪談話を掲載させて頂こうかと思います。

皆様はご存知ですか?今も首なし王妃の亡霊や無数の幽霊達が
渦巻く恐ろしい城ロンドン塔を…
1078年征服王ウィリアムによって要塞兼宮殿として建造された、
当時としてはヨーロッパ最大の城である。
それ以後も、各王によって拡張工事が続けられ、その結果18エーカーの
広大な敷地にはいくつもの塔や館が建てられた。
この900年の歴史を持つ古塔は主に王位継承争いで破れた王妃、貴族、
反逆者などを閉じ込める場所として使われてきた。そして残虐な拷問が繰り
返し行われ、首を斧でたたき切るという残酷な処刑が長年続けられてきた
忌まわしい恐怖の場所でもあるのだ。

本丸とされる中央には、ホワイト塔と呼ばれる最も古い建物があり、
その周辺をベル塔、血染めの塔、ブラック塔などと呼ばれる20ほどの
塔や礼拝堂などが取り巻いている。
処刑は公開されることもあり当時の一大見せ物だったという。処刑日は
よく晴れた日が選ばれ学校は休校となる。
一家そろって見物に出かけるのも当たり前の事であった。
刑場周辺には見物人目当ての屋台店がズラッと勢ぞろいし、『死刑ソーセージ』
や『絞首刑ビール』等と名付けられた食べ物が売られていた。
見物人達はそれを飲み食いしながら処刑が始まるのを待っていたのである。
処刑された人々の中には有名貴族、ヘンリー8世の王妃当時19歳だった
キャサリン・ハワードは不貞の疑惑をかけられて斬首に処される事となったが、
処刑の際恐ろしいほどの馬鹿力で処刑人たちの手を振りほどき目隠しを外す
と髪を振り乱し金切り声をはりあげて処刑場を逃げ回ったのである。
処刑人は大斧を振りかざして王妃の後をどこまでも追い掛け回し、
3度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、ようやく4度目にして王妃首を
たたき切ったと言われている。

こうした斬首される瞬間まで、生に執着したキャサリンの怨念は数百年
たった今も地縛霊として宮殿に取り憑き命日にもなると当時のままの姿で
出現するという。

また、血染の塔と呼ばれる塔の廊下には幼くして殺されたエドワード5世と
その弟ヨーク大公の幽霊が出ると言われている。当時12歳だったエドワード
5世は10歳の弟ヨーク大公とともにロンドン塔に霊閉され、叔父リチャード3世
によって殺されてしまったのである。

権力争いの犠牲になった幼い兄弟の遺体は、それから200年も経った
1674年に偶然ホワイト塔の南側の石段下から発見され、それ以降真夜中
になるとこの廊下の下を仲良く手をつないで散歩する幼い子供の亡霊が何度
か目撃されるようになったそうだ。
20世紀になってもロンドン塔の警備兵が幾度か王妃と思われる亡霊を目撃
している。その亡霊はチューダー王朝時代の古風な衣装をまとい、霧の濃い
明け方に現れては石段をゆっくり登っていくというものである。
不審に思った警備兵が、近づいて見透かしたところ白く細い手が見えた。
しかし、肩から上は霧に溶け込んで見えなかった。誰か確認しようと警備兵
がさらに近づいたが、その時になって初めて首がないのだとわかった。
警備兵は恐怖のあまり意識を失った。目撃した警備兵の中には、ショックで
高熱を出して死んだり、恐怖のために気がふれてしまった者もいたという。

この首の無い王妃の幽霊はヘンリー8世の2番目の王妃アン・ボレインでは
ないかと言われている。アン・ボレインはエリザベス1世を生んだが王子を
望んでいた王には不満だった。

やがて心移りした王は彼女に不倫の濡れ衣を着せロンドン塔に
送ったのである。彼女は反逆罪の汚名を着せられた上ベル塔の地下室で首を
斬られて殺された。
この世に恨みを残したアン・ボレインの魂が亡霊となり今も霧深いロンドン塔に
さまようのも当然であろう。
ロンドン塔は浅ましい人間同士の権力争いの象徴であり、忌まわしい英国
チューダ王朝時代の歴史を煎じつめた存在といえるだろう。

ロンドン塔の暗闇はそのまま人間の持つ心の闇に通じているのかもしれない。
by ales-web | 2007-08-16 15:54 | ◆その他